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熊本地方裁判所 昭和52年(ワ)390号 判決

原告

梅崎俊彰

被告

三浩電機株式会社

主文

被告は原告に対し金八四二万八〇二一円および内金七七二万八〇二一円に対する昭和四八年六月八日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用のうち参加によつて生じた部分は補助参加人らの負担とし、その余はこれを三分し、その二を原告の負担とし、その一を被告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金二三七三万三七五八円及び内金二一五八万三七五八円に対する昭和四八年六月八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  右第1項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は軽四輪貨物自動車(六熊そ三六六七号)を自己のため運行の用に供していたものであるところ、昭和四八年六月七日午前九時四五分頃、その従業員である訴外重永栄二に同車を運転させて熊本市大江二丁目一の七一番地先の道路を大江方面から保田窪踏切方面に向つて進行中、折から反対方向より進行してきた原告運転の単車(熊ま一〇一五号)に衝突させた(以下、これを「本件事故」という。」。

2  原告は本件事故により右下腿骨折、両膝関節打撲傷の各傷害を蒙り、そのため本件事故当日から入院、通院を繰返し甚大な損害を受けた。

3  その治療の経過は次のとおりである。

(一) 入通院

(1) 昭和四八年六月七日入院(斉藤病院)

昭和四九年一月二六日右退院(二三四日間)

(2) 同日入院(照波園病院)

同年六月一五日右退院(一四一日間)

(3) 同日入院(斉藤病院)

同年六月一八日右退院(四日間)

(4) 同月一九日通院(同病院)

(5) 同年八月二〇日通院(熊大病院)

(6) 同年九月一六日通院(照波園病院)

(7) 同月一九日入院(同病院)

昭和五〇年七月二〇日右退院(三〇五日間)

(8) 同年八月二日通院(同病院)

同年九月四日同( 同 )

(9) 同月九日入院(同病院)

昭和五一年六月一三日右退院(二七八日間)

(10) 同月一六日通院(熊本赤十字病院)

同年七月一七日同( 同 )

同月二〇日同( 同 )

(11) 同月二三日通院(熊大病院)

(12) 同月二四日同(済生会病院)

(13) 同月二八日同(熊本赤十字病院)

(14) 同月三〇日入院(同病院)

(15) 昭和五二年六月一〇日右退院(三一六日間)

(16) 同年七月一五日通院(同病院)

(17) 同月一九日入院(同病院)

昭和五三年一一月二日右退院(四七五日間)

(18) 右退院後昭和五五年五月九日まで約二〇回程度通院

以上入院合計一七五三日間

通院合計一二日間外約二〇回程度

(二) 右治療期間中に原告が施された手術は次のとおりである。

(1) 昭和四八年六月一五日右下腿骨接合術(斉藤病院)

(2) 同年一〇月二三日抜釘術( 同 )

(3) 同年一一月一〇日縫合術( 同 )

(4) 同年一二月二〇日洗浄手術( 同 )

(5) 昭和四九年二月七日骨接合術(照波園病院)

(6) 同年九月二八日瘢痕切除腐骨剔出( 同 )

(7) 同年一〇月一日ないし一一日傷口洗浄術( 同 )

(8) 同月一二日浮皮切除術( 同 )

(9) 同年一一月九日切開縫合術( 同 )

(10) 同月一一日洗浄術( 同 )

(11) 昭和五一年八月二日骨接合術(熊本赤十字病院)

(12) 同月二七日排膿開孔術( 同 )

(13) 同年九月九日有径植皮術( 同 )

(14) 同年一〇月一日植皮分離術( 同 )

(15) 同年一二月二〇日洗浄術( 同 )

(16) 昭和五二年三月三〇日同( 同 )

(17) 同年七月一九日骨移植手術( 同 )

(18) 同年八月一八日皮膚移植手術( 同 )

(19) 昭和五三年六月二日抜釘及掻爬手術( 同 )

(三) なお、原告は今後も相当期間経過観察等のため月平均一回程度の通院を必要とされる状況の継続が予想されるし、右のとおり一応退院はしたものの患部の骨はその質がもろくなつているために些細な打撃によつても折れ易く自由に歩行できないため免荷装具を常用しなければならず、日常の起居動作にも極めて不自由であつて、その労働能力は平常人の五〇パーセントに過ぎず、かつ常に骨髄炎の再発に恐々として生活せざるを得ない状況にある。

4  原告の損害は次のとおりである。

(一) 治療費(原告出費分)金一〇三万五七五八円

但し、昭和五二年六月一〇日迄の熊本赤十字病院

(二) 入院雑費金八七万六五〇〇円

(但し、一日五〇〇円一七五三日分)

(三) 交通費(入院及び通院)金八万円

(但し、照波園〈別府市〉関係九往復単価金五〇〇〇円、熊本市内三五往復単価金一〇〇〇円)

(四) 熊本商科大学留年による費用(授業料)増加分 金九万一五〇〇円

(五) 療養のため、就職延期(三年)分金四五〇万円

(六) 治療中の慰藉金五〇〇万円

(七) 後遺症による慰藉料金一〇〇〇万円

(原告は、前記のとおり労働能力五〇パーセントに過ぎず、しかも常に再発を恐れながら生活しなければならないので、現在、父親の経営する企業の手伝をして生活費を得ているもので、その肉体的苦痛は頗る大きく完全に片脚を失つた以上である。)

以上(一)ないし(七)合計金二一五八万三七五八円

(八) 弁護士費用 金二四五万円

(但し、着手金三〇万円に勝訴額の一〇パーセントを加算したものである。)

以上(一)ないし(八)総合計金二三七三万三七五八円が被告に請求できる原告の損害である。

5  よつて、原告は被告に対し右損害賠償金二三七三万三七五八円、及び右弁護士費用を除く内金二一五八万三七五八円に対する本件事故発生の翌日である昭和四八年六月八日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項の事実は認める。

2  請求原因第2項は、そのうち原告が本件事故により右下腿骨折、両膝関節打撲傷の各傷害を蒙つたこと及び本件事故と原告の受傷後三箇月程度の入、通院治療に基づく損害の発生との間に相当因果関係の存することは認めるが、その余は知らない。

3  請求原因第3項の事実は知らない。

4  請求原因第4項の事実は知らない。

三  被告の主張及び抗弁

1  原告は本件事故により右下腿骨折、両膝関節打撲傷の各傷害を蒙つたが、原告の右傷害は、適切な治療が施されておれば、通常三箇月程度の加療により完全に治癒するべき性質のものであつた。

ところが、原告は昭和四八年六月一五日右骨折部分に観血的骨接合術を受けたが、右術後手術創が化膿して骨髄炎を併発して骨癒合が不完全となり、長期間にわたり入、通院して手術、加療を余儀なくされている。

右骨髄炎を併発した原因は、原告の診察、治療をなした原告補助参加人医療法人斉藤会(以下補助参加人斉藤会という)の斉藤病院医師原告補助参加人斉藤和(以下補助参加人斉藤医師という。)が、右下腿骨折の診断を誤り、感染防止のため必要、適切な診療を怠つた過失によるものである。

すなわち、一般に、外創と骨折部との交通のない単純骨折又は閉鎖骨折とは異り、複雑骨折又は開放骨折の場合骨折部が外創と交通しているため菌感染をしやすく、従つて骨髄炎を併発しやすい。そのため、医師としては、当該骨折が開放骨折なのか閉鎖骨折なのかを確認し、開放骨折のときは、早急に感染防止のための十分な処置を施すことが急務であり、また右感染防止のための処置としては創部の洗浄、デブリツドマン(創内の異物を摘出し、将来壊死に陥る組織を切除することをいう。)、高スペクトルの抗生物質等の投与が不可欠であることは医学的常識とされていることである。

ところが、斉藤医師は本件事故発生直後の午前一〇時ころ原告の診察、治療を開始したが、原告の右下腿骨折部分には刺創様のものが存在し、同部分の腫脹も激しかつたのであるから開放骨折の疑いを持つのは当然であるのに、斉藤医師は右症状を軽視して、ゾンデ(消息子)を使用するなどして右創部と骨折部との間の交通の有無を確かめることもせずに、開放骨折と見るべきところを、閉鎖骨折と誤診した。そのため、創処置としては、右創部にマーキユロを塗布したに止まり感染防止のために不可欠である右創部の洗浄、デブリツドマン、抗生物質等の投与を一切しなかつたし、その後も、受傷日である同年六月七日から同月一二日までの六日間は、抗生物質等の感染防止剤は一切投与しなかつたし、創洗浄、デブリツドマン等の感染防止の処置も一切しなかつた。

また、開放骨折の場合、感染を防止するためには、全身状態が良好であれば、局所に組織反応の起こらないなるべく早期(開放創発生後六時間が手術に適したgoldenperiodとされる。)に手術をするべきであるが、その時期を過ぎたならば創部が完全に治癒してから観血的整復術を行うべきである。

ところが、斉藤医師は受傷後九日目に前記観血的骨接合術を施行したが、八日目までは創処置は継続中であり、原告の右創部は未だ完全に治癒していなかつたのであるから、右期日に右観血術を施行したことは手術の時期を誤り、右手術により骨折部の菌感染を発生、助長したものである。

以上のとおり、斉藤医師は原告の右下腿開放骨折の診断を誤り、感染防止に必要適切な治療を怠つたため創部から感染し、前記骨髄炎の発生に至つたものであり、したがつて、本件事故と原告の受傷後三箇月程度の入、通院治療に基づく損害の発生との間にはその相当因果関係は存するが、右期間経過後に発生した原告の損害と本件事故との間には相当因果関係は存せず被告はその損害賠償の責任を負わない。

2  本件事故現場は熊本市新屋敷一丁目方面から大江六丁目方面へ通ずる幹線道路に大江一丁目方面から通ずる道路が合流する三又路交差点であるが、大江一丁目方面から通ずる道路を進行し、右交差点に進入しようとした原告としては、前方を注視して、右交差点から自車道路へ対向進入してきた訴外重永栄二運転の軽四輪貨物車を早期に発見し、自車を左側に寄せて減速徐行して、重永車との離合の安全を図るべき注意義務があるのに、これを怠り、新屋敷一丁目方面から同交差点へ進行してきた車両に気を取られ、自車進路前方を注視することなく、漫然と時速五〇キロメートルないし六〇キロメートルの速度で自車道路右側を進行した重大な過失により、重永車が自車前方約二〇メートルの地点に至つてはじめてこれを発見し、急制動の措置をとつたが間に合わず自車前部を重永車前部右側に衝突させて、本件事故を発生させた。

以上のとおり、原告には右過失があり、したがつて、被告は本件損害額の算定について過失相殺の主張をする。

3(一)  自賠責保険より昭和四八年九月末ころ原告に対し金五〇万円が支払われた。

(二)  被告は原告に対しその損害賠償金として左のとおり合計金二四四万五一三〇円を支払つた。

(1) 医療法人斉藤会の治療費

昭和四八年九月一一日金二六万二六〇〇円

同年一〇月五日金一七万一七〇〇円

同年一一月六日金二〇万二九二〇円

同年一二月一九日金一九万〇五二〇円

昭和四九年一月二三日金二三万五四八〇円

同年二月一三日金二一万五九二四円

同年七月二七日金一万〇六〇三円

同年八月一四日金八八一四円

同年九月一二日金一万三〇一五円

同年一〇月二三日金四〇〇五円

合計金一三一万五五八一円

(2) 医療法人社団春日会照波園病院の治療費

昭和四九年二月一六日金六九〇六円

同年同月二五日金一万六〇一七円

同年三月五日金一万一〇一六円

同年同月二八日金三万四六一七円

同年五月九日金六万二二三五円

同年六月二〇日金三万五三三一円

同年七月一三日金一万九九一七円

同年一一月二二日金一五万五三一三円

同年一二月一六日金四万八〇七二円

昭和五〇年一月九日金四万七八九五円

同年二月二八日金三万七二一二円

同年三月一三日金三万一九五〇円

同年四月九日金五万四〇七八円

合計金五六万〇五五九円

(3) 原告に対する見舞金

昭和四八年九月一二日金五万円

同年一一月七日金五万円

同年一二月一九日金五万円

昭和四九年二月六日金五万円

同年五月二六日金七万円

同年八月一四日金三万円

同年一〇月一九日金五万円

同年一二月一三日金五万円

昭和五〇年一月二八日金五万円

同年三月二一日金三万円

同年五月二日金三万円

合計金五一万円

(4) 原告の交通費タクシー代

昭和四九年六月三〇日金三六二〇円

同年七月三一日金一万五七三〇円

八月三一日金二万〇二八〇円

一〇月三一日金三八〇円

昭和五〇年九月三〇日金八三〇円

合計金五万八九九〇円

四  被告の主張及び抗弁に対する認否

(原告)

1 被告の主張及び抗弁第1項は争うが、なお、本件治療が長びいた理由が補助参加人斉藤和の医療過誤にあるとしても、被告も共同不法行為者としての責任がある。

2 被告の主張及び抗弁第2項のうち原告にそのような過失があつたことは否認し、過失相殺の主張は争う。

(補助参加人ら)

1 本件事故による原告の受傷に関する補助参加人らの診療行為は、現在の開業病院としての一般的な診療水準上適切な処置をとつたものであり、補助参加人らには債務不履行も不法行為もない。

原告の右下腿骨折は、皮膚面に擦過傷程度の創が認められたが、閉鎖性のものと考えられた。ただ補助参加人斉藤医師は極くわずかな刺創については創の洗浄、デブリツドマン等の処置を行うことはかえつて極小の穴から外部の菌をいたずらに奥に押し込む危険が多く、その処置をとることがかえつて症状を増悪させるものと判断したものであつて、右は医師の裁量権の範囲に属する事柄であり違法はない。

通常、ゾンデ等を使用して開放性を確認するについても、右の創は擦過傷程度のもので受傷直後より感染の危険は考えられない程度のものであり、より大きな感染の危険を伴う処置を回避したのである。

2 開放性骨折についても一応は疑つたものであるが、前記のような判断から本件では右の創の治癒と局所の状態の好転を待つて手術を行つたのである。受傷後六時間以内に手術を行うべきであるという一般論は著明な開放性骨折の場合の例であり、本件の場合には適用されない。

3 本件の場合は受傷による挫滅のために皮下組織筋肉、骨等が極めて栄養の悪い状態になつており、これが術後融解壊死におちいり、そのものが創液として持続的に体外に流出し、そのために必然的に二次的に手術創の細菌感染が起こり、さらにそれが極めて栄養の悪くなり抵抗力の弱くなつた骨に及んで骨髄炎を起こしたものと思われる。

もし骨折の状態が複雑でなく良好であつたならば、細菌感染を起こしてもこのように長期にはならず治癒していたと推定される。

いずれにしても、医師の過失や債務不履行によつて本件の骨髄炎を起こしたものではなく、医師に責任はない。

五  (補助参加人らの主張に対する被告の反論及び主張)

1  原告が本件事故により骨折箇所に骨髄炎を併発した原因は、原告の診察、治療をなした補助参加人斉藤和が医学界の知識水準に基づき、原告の右受傷の病的症状の医学的解明をし、その生命、身体に危険な結果を招来するような病因を予測して適正な治療により右結果を未然に防止すべき注意義務を有するにかかわらず、これを怠つた過失に基づく不法行為によるものであり、また、補助参加人斉藤会が原告との間で結んだ、原告の本件傷害の病的症状の医学的解明をし、その症状に従い治療行為を施すことを内容とする準委任契約に基づく債務の本旨に従い善良な管理者の注意義務をもつてその債務を履行すべき義務があるにかかわらず、これを怠り、右債務を不完全に履行した債務不履行によるものである。

2  原告の右下腿骨折の態様につき、補助参加人斉藤医師は、原告の受傷後約一五分間を経過した昭和四八年六月七日午前一〇時ころ、初診として診断した結果は、次のとおりであつた。

(1) 骨折部の腫脹が激しく、皮下組織及び筋肉組織の損傷が著しい。

(2) 脛骨と腓骨がその中央部分で斜めに骨折して、異常可動性を示し、第三骨片も存在した。

(3) 右受傷部位に、骨折した骨の断端でもつて内側から外側へ力が加わり皮膚を破つた刺創様の外傷が存在した。右態様からすれば、右刺創様の外傷と骨折部とが交通する、いわゆる開放骨折であつたことは明白である。

3  しかるに補助参加人斉藤医師は右初診の際、開放骨折であるのか、あるいは、外創と骨折部とが交通しない閉鎖骨折であるのかにつき確認することなく、漫然と骨折箇所を固定し、湿布し、消炎鎖痛剤を投与し、創処置としては、マーキユロを塗布したに過ぎず、前記菌感染防止のため不可欠な創の洗浄、デブリツドマン、高スペクトルの抗生物質を用いての化学療法を実施することも一切しなかつた。

またその後も補助参加人斉藤医師は、受傷日たる昭和四八年六月七日から同月一二日までの六日間は、抗生物質の投与はもちろん、その他の創の洗浄、デブリツドマン等の菌感染防止の処置は一切なさず、同月一三日、一四日になつてやつと抗生物質のセフアメジン各一グラムを投与したに過ぎない。

この不適正な処置により、原告は前記創部から菌感染し、骨髄炎を併発したものである。

4  補助参加人斉藤医師が初診時において原告の諸症状をもつと注意深く診断すれば、開放骨折であることの医学的解明は容易であつたから、細菌感染ひいては骨髄炎の併発も十分予測できたはずであり、したがつてgoldenperiodの時期に菌感染防止に必要、適正な治療を施すことができ、原告の菌感染、骨髄炎併発は防止できたはずである。

5  仮に原告の骨折が閉鎖骨折であつたとしても、観血的骨接合術を施行することにより、骨折部と外界が交通し、開放骨折類似の状態となるのであるから、当然、菌感染防止のための処置を施すことが必要不可欠であり、手術時はもちろん、術後の創傷療法に際しての感染防止をとくに厳重にしなければならない。

ところが、補助参加人斉藤医師が右観血的骨接合術時になした消毒が不完全であつたか、若しくは、右手術後の手術創に対してなした消毒が不完全であつたため、手術創より細菌が侵入し、手術創が菌感染を起こして化膿し、骨髄炎を併発した。

6  なお、補助参加人斉藤医師は、初診時において、骨折部の腫脹が激しく、皮下組織及び筋肉組織の損傷が著しいことを発見していたのであるから、右の外傷によつて挫滅させられた軟部組織が壊死に陥り創の治癒を遅延するばかりでなく、また、感染源となりやすいことは当然に予測されるのであり、菌感染防止のためにはこれを切除する必要があつたのに、前記観血手術時にこれをしなかつたし、また、第三骨片が存在して汚染された場合にはこれが異物として、感染を助長し、第三骨片自体も腐骨化して排除されていくものであり、これを摘出すべきであるのに、同じく前記観血手術時にこれをしなかつた。

もし、補助参加人斉藤医師が前記観手術時に右挫滅された軟部組織の切除及び第三骨片の摘出をしておれば、同人がその原因を主張する細菌感染、骨髄炎の発生は防止できたはずである。

尚、補助参加人斉藤医師は、体液の流出が長時間持続すれば、如何なる処置を行つても必ず細菌感染が起こつて来ると主張するが、体液の出口を清潔に保ち、消毒を完全に行えば、菌感染は防止できるものであり、時にはドレーンを入れる場合さえ存在する。

また、補助参加人斉藤医師はデブリツドマンを施行しなかつたが、デブリツドマンそのものが、創内の異物を摘出し、将来壊死に陥る組織を切除することであるから、本件骨折が開放骨折の場合には、同人がデブリツドマンを適正に施行しておれば、当然、同人がその原因を主張する菌感染、骨髄炎の発生は防止できたはずである。

第三証拠〔略〕

理由

一  (事故の態様と責任の帰属)

原告主張請求の原因第1項の事実は当事者間に争いがない。

そこで本件事故態様について検討する。

成立に争いがない甲第一ないし第三号証、乙第二号証の一、二、同第三ないし第五号証、原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨をあわせると、次の事実が認められる。

本件事故現場は熊本市新屋敷一丁目方面から同市大江六丁目方面へ通ずる幅員約二二メートルの道路と大江一丁目方面から大江六丁目方面へ通ずる幅員約八メートルの道路が合流する交通整理の行なわれていない三叉路交差点(Y字型)であるが、訴外重永栄二が軽四輪貨物車(六態そ三六六七号)を運転して右交差点を大江六丁目方面から大江一丁目に向け時速約二〇キロメートルで右折進行しようと、右折の合図をしたのち、前方から自動二輪車(熊ま一〇一五号)を運転して時速約四〇キロメートルで同交差点に左折進入しようと進行してくる原告に気づき、原告が進入道路の右方道路からの車両のみに気をとられ、幾分自車道路の右側寄りに進行してくるため、そのままでは正面衝突を避けられないことを予見しながらも、いずれ原告の方でも自車に気づいて左右いずれかに避けてくれるものと軽信し、警音器を吹鳴しないままそのままの速度で進行したため、原告車に約二〇・七メートルの距離に接近して始めて危険を感じ急制動の措置をとつたが間に合わず、自車前部を原告車前部右側に衝突させて本件事故を発生させた。

以上のような事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によると、加害車を運転していた訴外重永は本件事故につき、前記三叉路交差点を右折するにあたつては自動車運転者として対向進入してくる原告車の動静に注視し、これに自車の右折進行を警音器を吹鳴するなどして知らせ衝突の危険を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、原告車の方で自車に気づいたうえ、事故防止の措置をとつてくれるものと軽信し、前記措置をとらず漫然と従前の速度のまま進行した過失により、本件事故を惹起したものと認められる。

また、被告会社が前記加害車を所有し、これを電気製品の販売業務の用に供し、運行供用者の地位にあることについては当事者間に争いがないので、被告会社は運行供用者として本件事故により原告に生じた損害を賠償する責任を負わなくてはならない。

しかし、他方前記認定事実によると、被害者である原告にも本件事故について自動二輪車運転手として、前方を注視し、前記交差点において対面進入してくる重永車を早期に発見し、かつ自車が幅員の狭い道路から幅員の広い道路へ進入するのであるから減速徐行して加害車との離合の安全を図るべき注意義務があるのにこれを怠り、進入道路の右方のみに気をとられ前方からくる加害車に気づくのが遅れ、時速約四〇キロメートルの速度のまま進行した過失があつたこと、および原告の右過失が本件事故発生に寄与していることが認められる。

そして、右述の事故態様からすれば、本件事故における被害者(原告)の過失割合は三〇パーセントと解するのが相当であるので、被告は原告に対し原告に生じた損害額のうち、七〇パーセントに当る金員を賠償すべき義務がある。

二  (事故と傷害との関係)

原告が本件事故のため右下腿骨折、両膝関節打撲傷の各傷害を受けたことは当事者間に争いがない。ところで、被告は、原告が本件事故のため受けた右傷害は、適切な治療が施されておれば、通常三か月遅くとも六か月程度の加療により完全に治癒するべき性質のものであつたから、右期間経過後の入、通院加療に基く損害及び後遺症に基く損害については、本件事故との相当因果関係がないと主張するので判断するに、成立に争いのない甲第四、第五号証、同第九号証、同第一一号証、乙第一号証、第七号証、第一三、第一四号証、第一七、第一八号証、証人斉藤和(第一、二回、但し後記信用しない部分を除く)、同黒木健夫の各証言を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告は昭和四八年六月七日本件交通事故により受傷したため救急車により補助参加人斉藤会経営の斉藤病院に搬送され、同院の副院長である補助参加人斉藤医師が診療を担当し、同日午前一〇時頃初診した結果、右補助参加人斉藤医師は原告の骨折部の腫脹が激しく異常可動性を示し、右受傷部位の右下腿(脛骨及び腓骨)中央部分で斜めに骨折した骨の折端で内側から外側へ力が加わり皮膚に数ミリメートルの刺創様の外傷が存在することを発見し、カルテにその旨記載したものの、右外傷と骨折部との交通の有無を確かめず、閉鎖骨折と診断したため右創部にマーキユロを塗布した上、骨折箇所の固定、湿布、血流改善のための薬の投与及びレントゲン撮影をしたに過ぎなかつたこと。

2  その後補助参加人斉藤医師は、同年六月一三日に至つて初めて抗生物質(セフアメジン)を注射したうえ、同月一五日右骨折部分に観血的骨接合術を施したが、同年六月一九日頃から手術創から滲出液が出はじめ、同月二三日は腫脹も強く三七度六分と発熱したため、セフアメジンに代えてアクロマイシンを投与し、さらに同月二五日には三九度を越えた発熱があり、滲出液も続いて出ることから、細菌感染が予想されたが、補助参加人斉藤医師は受傷による挫滅のため局所の軟部組織(皮下筋肉)の壊死、融解、出血、リンパ液その他の体液が手術操作と相まつて術後持続的に手術創から滲出するようになつたものであり、これにより逆行性に細菌感染を起こしたものであると判断し、同年七月七日抗生物質コリスチンを投与したが、容易にその治療効果が現われないまま原告は昭和四九年一月二六日斉藤病院を退院して大分県別府市の照波園病院へ転院したこと。

3  なお、補助参加人斉藤医師は昭和四八年七月五日頃骨折部分の細菌感染を疑い、菌の培養検査及び耐性検査を熊本市医師会成人病検査センターに依頼し、その結果同年七月七日原告の感染した細菌がグラム陰性桿菌であることが判明したが、これより先、既に昭和四八年六月一四日白血球七三〇〇と増多が見られたほか、体温も三七・五度に上昇したのち、手術時の四〇度近くまで上つたのを頂点に、更に同月二五日には白血球が四二〇〇と増多を見、体温は再び三九・一度に上昇したこと、右グラム陰性桿菌に対してはストレプトマイシン、カナマイシンの投与が効果的であるところ、右補助参加人斉藤医師は原告に対し同年六月一五日の手術に際しセフアメジン、カナマイシン、ストレプトマイシン等の抗生物質を投与し、患部には厳重な消毒を行うなど、細菌感染を防止する処置をとつていることなどから判断して、原告は遅くとも右手術時である同年六月一五日頃より前に細菌感染を起こし、潜伏期間を経て同年六月二五日頃化膿性骨髄炎を続発したものと推認されること。

4  補助参加人斉藤医師は昭和四九年八月三一日原告を再び診察した際、前記受傷部位が照波園病院へ転院する以前から化膿性骨髄炎を続発していたことを認め、初診時に刺創様の外傷が存在していたこと及び下腿骨折等の傷害が長く治癒しないことから、右受傷が閉鎖骨折ではなく開放骨折であつたことを知り、当初「右不腿骨折」とのみ記載した昭和四八年八月二五日付診断書(乙第七号証)に「開放」の文字を捜入したこと。

以上のとおり認められ、証人斉藤和の証言(第一、二回)中右認定に反する部分は信用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そして右認定の事実によれば、参加人斉藤医師としては、初診時、骨折部の腫脹が激しく、皮下組織及び筋肉組織の損傷が著しいこと、そのうえ、受傷部位に刺創様の外傷が存在するのを発見したのであるから、右症状を注意深く診断して骨折部と外部とが交通している、いわゆる開放骨折であることを医学的に解明し、直ちに細菌感染を防止するため適切な処置を施すことが医師としての義務であるというべきである。そして、成立に争いない乙第二一、第二二号証及び前記証人黒木健夫の証言によれば、開放骨折の治療としては、まず細菌感染を防止するため、全身状態が良好であれば、局所に生体組織反応の起こらないなるべく早期(開放創発生後六時間乃至八時間以内)に創の洗浄及びデブリツドマンをなし、積極的に骨接合術を行ない、術後、広範な菌種に効果を有する、いわゆる高スペクトルの抗生物質を用いて強力な化学療法を実施することが不可欠であることが認められる。ところが、本件においては、前記認定のように、補助参加人斉藤医師は、原告の本件交通事故により受けた傷害は右下腿開放骨折であつたにもかかわらず、当初これを単なる閉鎖骨折と診断を誤つたため、初診時の創処置として右創部にマーキユロを塗布したに止まり、右受傷後最初の六時間乃至八時間(感染防止のための最適時間)内における感染防止のための必要、適切な治療措置を行わず、そのため原告はグラム陰性桿菌に感染し、化膿性骨髄炎を続発したものであり、これによれば、右結果の発生について補助参加人斉藤医師に過失の存したことは否定できないところである。

しかしながら、本件においては、以上の経過のほか、前示認定のとおり、本件受傷が右下腿開放骨折であつたことに加えて、成立に争いない同乙第一九ないし同二二号証、同五九号証の一ないし三、前記証人黒木健夫、証人米満弘之の各証言によれば本件骨折部分には第三骨片が存在したところ、一般に創内に第三骨片が存在し汚染された場合、これが異物として感染を助長し、第三骨片自体腐骨化して排除されるものであること、しかも骨折部位が脛骨及び腓骨である上、先端が斜めに骨折して尖鋭であるため極めて栄養の悪い状態を呈し接合しにくいものであつたことが、前記骨髄炎の併発と並んで、本件骨折の完治を長びかせた原因となつていることも認められ、これらの諸般の事情に鑑みれば、結局のところ本件受傷の原因となつた本件事故と本件右下腿開放骨折及びこれに続発した化膿性骨髄炎との間には相当因果関係があり、前記のとおり補助参加人斉藤医師の医療上の不手際が途中に介在したとしても右相当因果関係の存在に何ら消長を及ぼすものではないと考えるのが相当である。

したがつて、本件事故と受傷後六か月経過後の入、通院加療に基く損害及び後遺症に基く損害との間にも相当因果関係が存すると認められるから、被告はこれが損害賠償責任を免れず、補助参加人斉藤医師と共同不法行為者として有責であるといわなければならない。

三  (損害)

(一)  (傷害の程度等)

原告の昭和四九年一月二六日照波園病院へ転院した以降の治療経過及び原告の現在の状態については、成立に争いない甲第六ないし第九号証、同第一四号証の一ないし六、乙第八号証前記証人黒木健夫、同米満弘之の各証言および前記原告本人尋問の結果を総合すれば次の事実が認められる。

(1)  原告は前示の照波園病院へ転院の際、黒木健夫医師の診察を受けた時は未だ下腿骨折が完全に癒合しておらず、下腿中央下部にある傷から排膿する瘻孔が形成されていたため、同年二月七日瘻孔の肉芽組織を掻爬して壊死部分を切除し洗浄術を行なつたうえ、以後も入院治療を受け、一四一日間経過した同年六月一五日一時退院したこと(なお、原告は同日から同月一八日まで斉藤病院に入院して治療を受けている)。

(2)  次に同年九月一九日原告は照波園病院に再入院し、その際も骨の癒合は完成していなかつたところ、同月二八日腐骨の剔出、浮皮切除及び膿瘍切開手術を受け、同年一一月九日切開縫合術さらに同年一二月末頃までに洗浄術を時々受け瘻孔もなくなり、骨も一応癒合したが、昭和五〇年一月一七日歩行中、転倒して再骨折したため、同年三月二七日骨接合術を受け同年七月二〇日まで入院治療を受けた結果、骨の発育による癒合を待つ状態に至つたのでギブスにより固定して退院(入院期間三〇五日間)したこと。

(3)  さらに原告は骨髄炎の再発の徴候があつたため同年九月九日照波園病院に入院して抗生物質や、サルフア剤の投与による化学療法を受け始め、骨折は一応癒合し骨髄炎も一応始まつたので、同年一二月頃から機能回復訓練を施し体力の回復とその他の不利な条件の避止による順調な骨の癒合を待つ状態のまま昭和五一年六月一三日退院(入院期間二七八日間)したこと。

(4)  その後原告は同年六月一六日、熊本赤十字病院で中根医師の診察を受け、原告の右下腿部には、中下三分の一付近に軽い熱感及び圧痛があり、骨折部が完治せず遷延治癒骨折の状態となつているばかりでなく、骨折部位が仮関節様になつていると診断され、同年七月三〇日、右熊本赤十字病院に入院したうえ、同年八月二日骨掻爬術と骨移植術を受け、その際なされた細菌検査の結果緑膿菌が検出されたことから化膿性骨髄炎と診断され、同年八月二七日排膿開孔術、同年九月九日有径皮膚移植術、同年一二月二〇日抜釘術及び洗浄術を施した上、昭和五二年六月一〇日まで三一六日間入院治療を受けたこと。

(5)  原告は昭和五二年七月一九日再骨折のため熊本赤十字病院に再入院し同日骨移植手術、同年八月一九日皮膚移植術、昭和五三年六月二日抜釘術及び掻爬術を受けた後、同年一一月二日退院するまで四七五日間の入院治療を余儀なくされ、さらにその後も経過観察等のため月平均一回程度の通院を必要とされており、昭和五五年五月九日まで約二〇日程度通院し、その状況は今後なお相当期間継続することが予想されること。

(6)  現在においてもなお原告の骨折部分は骨の癒合が完全でないばかりか、前記のとおり骨の癒合に長時間かかつたため、骨全体が非常にもろくなつており、些細な打撃によつても折れやすい状態にあるため免荷装具を常用しなければならず、起居動作にも極めて不自由であり、かつ、原告としては常に骨髄炎の再発を恐れて生活せざるを得ない状況にあること。

右認定の事実に労働省労働基準局長通牒の労働能力喪失率表などを参酌すると、原告は本件事故による前記後遺症のために、労働能力の五〇パーセント程度を喪失したものと認めることができる。

(二)  (損害額)

(1)  治療費

前記甲第八号証、同証人米満弘之の証言及び同原告本人尋問の結果を総合すると、原告請求原因第4項(一)記載のとおり(ただし、期間は昭和五一年六月一六日から昭和五二年六年一〇日までの熊本赤十字病院分。その余は被告側より支払済で原告の請求に含まず)入通院治療費として合計金一〇三万五七五八円を支払つたことが認められる。

(2)  入院雑費

原告が、本件事故による傷害のため、一七五三日間入院したことは、前認定のとおりであり、本件事故により入院雑費として、合計金八七万六五〇〇円(一日当たり金五〇〇円)の損害が生じたとみるのが相当である。

(3)  交通費

前記証人黒木健夫の証言及び同原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、原告は熊本市内から別府市の照波園病院へ、タクシー、バスまたは鉄道を利用して入、通院及び退院のため九往復しているところ、右に要した交通費は一回(一往復)当たり金五〇〇〇円を下らないこと、また熊本市内の各病院へ入・通院、転・退院のため三五往復し、右に要した交通費は一回(一往復)当たり金一〇〇〇円を下らないことがそれぞれ認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。したがつて交通費は合計八万円となる。

(4)  授業料等

成立に争いない甲第一三号証及び前記原告本人尋問の結果によれば、原告は本件事故当時熊本商科大学経済学部四年に在学中のところ、本件事故により入院したため授業を受けられず、本来昭和四九年三月同大学を卒業見込みのところ、一年間留年せざるを得なくなり、そのため昭和四九年度納入金(授業料七万円、諸納金三〇〇〇円、委託徴収金一九〇〇円)合計金七万四九〇〇円を支払わざるを得なかつたから、原告は右と同額の損害を蒙つたものと認められる。

(5)  逸失利益

次に、前記原告本人尋問の結果によると、原告は当時本田技研工業の就職試験を受けるため学校推薦を得ていたから大学卒業と同時に入社できる見込みであつたところ、本件事故のため就職することができなくなり、三年間入通院治療のため就職が延びたことが認められる。

ところで、労働省労働統計調査部作成の昭和五〇年賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業計、学歴計の二三歳男子の平均給与額(含臨時給与)を基準とした平均月額は金一四万一四〇〇円(年額金一六九万六八〇〇円)であり、これを参考にして原告が就職できなかつた三年間の逸失利益を計算すると、原告請求の金四五〇万円の範囲内で、右金額と同額が事故と相当因果関係にある損害として認めることができる。

(6)  慰謝料

前記認定の本件事故の態様、治療状況、後遺症状のほか、原告の年齢、職業等の諸事情を総合すると、本件事故により原告の蒙つた精神的苦痛を慰謝するためには

(イ) 入・通院慰謝料として金二〇〇万円

(ロ) 後遺症による慰謝料として金四〇〇万円

合計金六〇〇万円をもつて相当と認める。

四  そうすると、本件事故と相当因果関係にある原告の損害は合計金一二五六万七一五八円となるところ、既に認定の被害者の過失割合に従い、被告は原告に対し、右金員の七〇パーセント分金八七九万七〇一一円の賠償をすべきものとなる。

ところで、原告は本件事故による損害に関し、既に自賠責保険金五〇万円、被告より見舞金として合計金五一万円、交通費タクシー代として合計五万八九九〇円の各支払を受けたことは成立に争いない乙第二三号証、同第四七ないし第五八号証及び証人岩渕ちよの証言によつて明らかであるので、これを前記損害賠償額より控除すると金七七二万八〇二一円となる。

五  (弁護士費用)

以上のとおり原告は金七七二万八〇二一円の支払を被告に求めうるところ、成立に争いない甲第一〇号証及び前記原告本人尋問の結果、弁論の全趣旨を総合すれば、被告はその任意の支払をなさなかつたので、原告はやむなく弁護士である原告訴訟代理人にその取立を委任し、弁護士会所定の報酬の範囲内で原告は金三〇万円を着手金として支払つたほか、成功報酬として勝訴額の一〇パーセント(金七七万二八〇二円、円未満四捨五入)を第一審判決言渡後支払う旨約定していることが認められ、右認定に反する証拠はない。

しかし、本件事案の内容、審理の経過、認容額に照らすと、原告が被告に負担を求めうる弁護士費用相当分としては金七〇万円が相当である。

六  (結論)

そうすると、原告は被告に対し金八四二万八〇二一円およびこれより弁護士費用金七〇万円を控除した内金七七二万八〇二一円に対する事故発生の翌日である昭和四八年六月八日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めうるので、原告の本訴請求を右限度で認容し、その余は理由なく失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九四条後段を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 弘重一明 吉武克洋 丸地明子)

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